もう何かになるのは疲れました。
走り続ける人生
走り続けていないと不安だ、気持ち悪いという人がいます。
私はそんな人を横目に、ああもう早く死ねたらいいのになあと心から思っています。
別にやりたいこともない、楽しいこともない、生きている限り消費され搾取されるばかりで、喜びも何もありません。なら、早く死んでゼロになりたいです。
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日々の小さな不快が絶望に繋がる
年を重ねると、日々小さな不快が増えてきます。
シミができる、肌がたるむ、些細なことで太る、体のどこかが痛む、自分の思うように動かない・動けないことが増えてきます。
そういう日々の小さな不快が、積もり積もって大きな絶望感に繋がります。
今私が抱えている絶望感は、これまでの人生でずっと感じてきた日々の不快さの現れなのだと思うと、5年後、10年後に感じる絶望感はいかほどのものかと恐ろしさに震えます。
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安楽死が早く認められればいいのに
死にたいと思った時に、誰をも困らさずに死ねたらいいのになあと思います。
最近は抗うつ剤のおかげで動ける時間が増えてきたので、私は終活に精を出しています。
再就活なんて力は私にもう残ってません。部屋にはもう布団と、スーツケースに入るだけのものたちだけになりました。
生きたいと思う人に寿命をあげたいです。