教育虐待の加害者、父への諦め・絶望

うつ病

わたしは3年前にうつ病を発症した。

前職の上司・同僚社員たちによる陰湿ないじめが原因で発症したけれど、うつ病のもっと根っこの原因を探ってみると、うつ病発症の原因は「父による教育虐待」だった。

今、私は毎月1回、1時間のカウンセリングを受けている。

毎回のカウンセリングで分かったこと、感じたことを赤裸々に書いていく。

私と同じく、教育虐待やうつ病で悩んでいる人の参考になると嬉しい。

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教育虐待の加害者である父は、過ちを認めない

私は幼い頃から、「勉強しないヤツに生きている価値はない」「金を稼げるヤツが一番偉い」「医者という仕事が一番素晴らしい」と言われて生きてきた。

そのせいで、私は絵を描くのが好きで勉強ができない自分は生きる価値がないんだとずっと思っていた。

実際に社会に出てみると、いろんな価値観が溢れていた。

いろんなショックが重なって、私はうつ病になった。

父をまじえてカウンセリングをしたこともある。

でも、父は表面上「自分が出来ることはなんでもやる」と言うけれど、家に帰ると「俺だけが悪者にされてイヤな気分だ」「もう大人なんだから、こんな面倒かけるな」と私にきつく当たる。

私の父は、どれだけ精神科医たちから言葉を尽くされても、実の娘が自分のせいでうつ病になったという事実を突きつけても、教育虐待をしたという自覚がないのだ。

もしくは、自覚したくないのだ。

自覚したくないから、「俺は絶対に正しい、お前がおかしいんだ」とわめき散らす。

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父から、急に「ごめん」と謝られる

今月の上旬、父から急に「ずっと謝りたかった」「ごめん」と言われた。

何への謝罪なのかは分からないが、とても不快だった。

彼は何にも悪かったとは思っていない。

自分自身の価値観を変えようというつもりもない。

なのに、口先だけの謝罪でこれまでの私の苦悩をすべてなかったことにしようとしている。

そして、また自分の思い通りに動く娘を手に入れられると思っている。

それがすごく腹立たしかった。すごく侮られていると思った。

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私の父は、娘をアクセサリーとしか見ていない

私はひとりの人間だ。

彼は、私が彼の教育虐待が原因でうつ病になったと話しをしたら、「お前はもう大人なのだから、病程度自分で処理しろ」と言ったはずだ。

本当に彼が私をひとりの人間として見ているなら、こんなに私をバカにした態度はとらないはずだ。

自分が苦しめた相手に対して、何が悪いかも分からないのにとりあえず口だけの謝罪をして、それでまた自分のコントロール下に置こうとするなんて、私を何だと思っているのだろう。

操り人形?体のいい飾り?アクセサリー?

怒りで目の前が真っ赤になる。

父は結局、私のことを「手のかかるアクセサリー」としか考えていないのだ。

彼が欲しいのは、「定年退職後に、自分がさびしいときにいつもかまってくれる、優しくて美しく、学歴もある娘」にすぎない。

私は虚しかった。27年間生きてきて、親から与えられた最低の屈辱だと思った。

お前は、ずっとそんな目で私を見ていたんだな。

自分が適当に謝りさえすれば、操作できると、私のことをそう思っていたんだな。

私は人間だ、ひとりの、人権ある人間だ。お前のアクセサリーなんかじゃない。

お前はアクセサリーだと思って育ててきただろうが、私はお前なんかのアクセサリーになりたくない。

私は人間だ、感情も尊厳もある。絶対にお前なんかの飾りとして死んでやるものか。

憎しみと悲しみが溢れた。

カウンセリングルームで先生に話しながら、泣いた。

悔しさや、悲しさや、いろんなものが混じって、涙になって溢れ出た。

 

自分の弱さを認められない、という弱さ

私の父は自分の弱さを認められない。

父は、勉強や弁舌で人を抑圧することで、人の蹴落としてのし上がることでしか喜びを得られない人だ。

父は、運動ができない。絵心もない。

自分のできないことには、絶対に挑戦しない。からかわれたり、できないところを見せるのが恥ずかしいからだ。

そして、彼の「恥ずかしいところ」は娘の私の存在もそうだ。

カウンセラーと父は、同じ病院に所属している。

父が本当に私のこと理解したいと思えば、カウンセラーに私の様子を聞きに来ることができる。(カウンセリング内容には守秘義務があるので、父にでさえ話すことはできないが)

でも、父はそれをしない。

私に母に「今日のカウンセリングはどうだったか」とこっそり聞いては、自分の悪口を言われていないかだけを気にする。

つまり父は、同じ病院に所属しているカウンセラーに自分の悪評が伝わるのを恐れているのだ。

娘の私が心配なのではなく、自分の立場がゆらぐことが心配なのだ。そして、私の存在が恥ずかしいのだ。

カウンセラーと話していて、腑に落ちた言葉がある。

「君のお父さんは、自分の弱さを弱さだと認められないことが弱みだね」

そうなんだよなあ、と思った。

私の父は、自分の弱さをつつこうとした人間は、人非人だとまわりに言いふらし、抑圧することしかできない。

それを私は恥ずかしいと思うが、彼はそう思わず50年以上も生きてきたんだろう。哀れに思うし、そんな人間と金輪際関わりたくないと思う。

私は、自分の弱さを弱いと自己認識し、ある時は人を慰めたり、奮起したりさせられる材料に出来たらいいと思う。自分の弱みや恥部など、大したことはないと思う。

私よりもっと苦しんでいる人のために、自分の弱みや恥部が活用できるのなら、それは歓迎すべきことだと思う。(まあ程度はあるが)

 

家族問題を解決したいなら、父を交えないと。でも…

カウンセラーと何度も話して、やはり家族の問題をどうにかしたいのならば父に対してカウンセリングしないといけないということだった。

でも、父は自分の弱みを見せられない人だ。そして、それを自分で分かっていないバカだ。

「自分は弱者に寄り添う、聖人君子だ」と本気で信じ込んでいる。

父はカウンセラーと対峙しても、本気で自分の内面を見せることはしないだろう。

もう50年もそんな人生を送ってきているのだから。俺はすばらしいという自己暗示を書け続けているのだから、もう今さら性格は変わらないと思う。

だが、本気で父との関係を変えたいのならば、父とカウンセラー、私とカウンセラー、そして、父と私とカウンセラーであらためて問題をぶつけあわなくてはいけない。

私はもう疲れた、とカウンセラーに言った。

父は変わらない。これまでもそうだった、どれだけ苦しんで父に「父のこういうところが私を苦しめたし、苦しめているのだ」と話しても、自分は悪くない、の一点張りで話しを全く聞こうとしなかった。

なのに、後で父にその時のことを思い出してもらうと、「自分は娘の話しにしっかり耳を傾けて、誠実に対応した」としか覚えていない。

もはや、ここまで来るとバカ加減があっぱれだと思う。

人間は自分のいいように記憶を改ざんするんだなあと思ったものだ。

だから、父には私は何の期待もしていない。

もう父には何もしてきてほしくない、そっとしておいてほしい、ただそれだけだ。

カウンセラーにそう伝えると、頷いてくれた。

 

引越したいのに、起き上がれない苦しみ

私はサイト制作を仕事にして、生計を立てている。

今は毎月100万円前後の収入が入ってくるが、それがいつまで続くかは分からない。自営業は行き先が不透明だ。

だから、実家の一部屋にこもって生活している。

家族と顔を合わせることはない。話すこともない。

基本的に私はベッドの上から動けない。気力がないのだ。

どうにか月に1回のカウンセリングへ出かけるだけで、気力をすべて使い果たしてしまう。

人が怖い、外に出ればまた前職時代と同じように傷つけられる…そう思うから、外に出られない。

動かないから腕も足も細ってきて、肌は紙のように白くなってきた。気力がないので風呂にもなかなか入れず、お手洗いに行くのもやっとだ。

幸いにも、サイト制作の仕事は自分でその分量をコントロールできるのでどうにかなっているが、部屋にこもりきった生活をしていると、気力はどんどん削がれてくる。生きている意味がわからなくなってくる。

最近は、毎日死にたいと思う日々だ。

仕事をしていても、思う。こんなことをして何のためになるのだろう。父からは煙たがられ、母は父に抑圧され、こんな腐りきった家の中から動けず、私は何のために生きているんだろう。

病原体である父から逃げたい、引越したい。

でも、先行き不透明な自営業では、引越しをするのも怖い。

自分自身がどこへ向かったらいいのか分からず、ずっと私は立ちすくんでいる。

 

演劇、絵画を好きな気持ちも、ネガティブな気持ちに押しつぶされる

私はもともと、演じることが好きだった。

舞台の上で、思いっきり自分の世界観を出せることが大好きだった。

絵を描くのも好きだった。

自分の思う空想の世界が目の前に広がっていくのが、すごく楽しかった。

でも、そういうクリエイティブなものたちは、父にとっては全く必要のないものだった。

「つまらない」「そんなものはお金にならない」「安定性がない」

と言い切って、私を机にしばりつけた。

前職までの私は、父親の言いなりだった。彼の期待する娘を一生懸命演じた。

有名大学へ進学し、有名な銀行に入行した。父親が私に会いに来る時は着飾ってあげ、優しく父の話を聞いてあげた。

デートで使うような店、場所に連れて行かれても、気持ち悪いと思う気持ちを少しも出すことなく、笑顔で対応してあげた。まるで私は父専用のキャバ嬢だった。

でも、心に無理をさせすぎて、身体が先にダメになった。

うつ病になって、退職して、自営業になった。今の私は何でもできるはずだった。

でも、演劇や絵画への愛情に蓋をしてきた期間が長すぎた。

 

私の心に住む父が、私を追い詰める

好きなことに踏み出そうとすると

「どうせやっても無理だ」

「また傷つけられるだけだ」

「そんなものやっても何の意味があるんだ」

父親の声が頭に響いて、何にも手を出せなくなる。涙が溢れて、布団にくるまることしかできなくなる。

好きなものを、好きだと叫ぶことができない。心の中に住む父が、怖い。

泣いても、叫んでも、心にこびりついた父がいなくならない。

それに私は絶望して、もうこんな人生ならいらないと思ってしまう。

毎晩、死にたい死にたいと思っては、死ねなかったと自分に嫌悪感を感じる毎日だ。

 

カウンセラーに話して、少し心が軽くなった

今月はとてもつらくて、ほとんどベッドの上から動けなかった。

風呂に入った回数も、片手で足りるほどだ。

でも、カウンセラーのいる病院まで死ぬ気で行って、涙ながらに話を聞いてもらって、少し胸がすっとした。

引越しはできればしたい。自分を変えるには、それしかない。

少し前向きな気持ちになった。

来月もまたカウンセリングがある。

その時に、少し先生に前向きな報告ができればいいなと思う。

自死することは避けたいと思う、避けたい。どうにか心をしっかりと保ちたい。

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