「ヴィンランド・サガ」と生きる意味

アニメ「ヴィンランド・サガ」を見ました。

うつ悪化から4ヶ月、やっと映像を見られるように

うつ病が悪化したのが4ヶ月前のこと。

これまで好きだった読書がパッタリとできなくなりました。

文字を読むのが苦痛で、YouTubeなど映像を見るのも辛くなりました。

情報を入れるのがしんどくて、心の底に溜まった澱をブログで吐き出すことくらいしかできなかったのですが、最近はやっと映像を見られるようになってきました。

実は、抑鬱状態が一番しんどい時は映像を見ただけでその情報量に圧倒され、吐いてしまうほどでしたが…今はそこまではありません。

そんなわけで、今回私が見たのは「ヴィンランド・サガ」というヴァイキングvsイングランド王国およびウェールズなど北方諸国のアニメです。

人は生きる間に愛を体験することはできない

作中で、父に疎まれ戦死を望まれるイングランド王国第二王子クヌートが、カトリックの神父に愛とは何かと尋ねる場面があります。

神父は「死こそ愛」だと答えます。憎むことも妬むこともなく、自らの身を動物たちに捧げ、ただただ生きている、それが愛だと。

父が子を大切に思う気持ちは愛ではないのかと問うクヌートに、神父は「それは偏見だ」と答えます。自分の命よりもクヌートの命の方が大事だと言う偏見であり、それは愛ではないと。

それを聞き、クヌートは絶望します。ではなぜ自分たちは生きているのか。生きることは愛を獲得するまでの試練に過ぎないのか。

これを見ながら、私もクヌートと同じように絶望していました。生きる意味などない、ということは分かっているつもりでした。

ないからこそ自分で作らなければ、生きていこうという気持ちを保てません。では生きる意味をどうやって作るのか?それは、誰かに愛し愛されているという…大切に思い合う無償の思いやりの気持ちから生まれるものだと思っていました。

でも、生きている間に人同士が思い合う気持ちは結局愛でないのなら、私たち人間に生きる意味などない…この世は悪人だらけの地獄で、そんな中で生きていたくなどないと思ったのです。

 

無力感と戦いながら

一方で、主人公のトルフィンは尊敬する父親を殺したアシェラッドを憎み、彼を殺すためだけに生きてきました。

ですがアシェラッドはクヌートの王位奪還のため、自分が殺される道を選びます。

トルフィンは俺が殺したかったのに勝手に死ぬなと泣くのですが、この執着とその喪失感がとても自分に当てはまって、胸が苦しかったです。

父を殺された憎しみに心を支配されて、それがいつしか生きる意味になっていて、それがなくなった途端自分が空っぽになってしまったような気持ちになって…。

トルフィンはアシェラッド亡き後、より生きることが苦しくなったと思います。

生きる意味なんてないからこそ、人は人同士で寄り集まって、愛のようなものを拠り所に生きていくのだと思います。

そうでなければ、この人間たちが住む地獄に心が耐えられないから。

それを捨てたトルフィン、そして自分はどうやって生きていけばいいのだろう。もういっそ誰か殺してくれという気持ちです。

この世はつらい、ただただ地獄であるだけです。地獄になんて少しだって長くはいたくない。早く死にたいです。