愛犬が死にました。それから、何も手につきません。
ぼーっと部屋でベッドで横になりながら泣き続ける中で、考えたことが3つあります。
早く愛犬のそばに行きたい、死にたい
1日中、ずっと愛犬のことを考えていました。
葬儀社に電話をして遺体を引き取ってもらうまで、私は愛犬の遺体のそばにずっと座り込んでいました。
ペットシーツを敷いて、クーラーを全力にした部屋の中で、愛犬は目を少しだけ開いていました。口も少し開いていて、日課のお昼寝しているようでした。
でも、ペットシーツに染みる唾液や血液、死後硬直した体を触ると、彼が生きていないことがわかります。
何度も愛犬の匂いを嗅いで、「忘れたくない」と泣きました。
人の記憶は、匂いからなくなっていくそうです。だから、絶対に絶対に、忘れたくなかった。
愛犬を撫で、耳の後ろの匂いを嗅いで、いつものように手足を揉みながら、「どうして神様は私より先にこの子を連れて行ってしまったんだろう」「私も一緒に連れて行ってほしかった」と思いました。
愛犬と一緒に死ねたなら、どんなに幸せだったろうと、愛犬の亡骸にすがりつきながら泣きました。
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愛犬が生きたかった今日を、私は生きている
愛犬の気持ちはわかりません。
でも、最後の日まで家族にだっこをせがみ、おもちゃをヨタヨタと持ってきて「遊ぼう」と誘ってくれた愛犬が、家族を愛していないはずがない…と思っています。
最期まで家族を見つめ続けた、わが家の愛犬。
私は、あの子が生きたかった今日を生きているのだと、とめどなく涙を流しながら思っていました。
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愛犬に恥ずかしくない飼い主になりたい
愛犬は、いつも優しくて、元気で、本当に天使のような子でした。
あの子がいるだけで、家族が笑顔になれました。辛いことがあったり、思い出したりしても、しばらくあの子を抱きしめているだけで元気になれました。
泣いていたら、「どうしたの?」と涙を舐めにきてくれる。何度もお手をしたり、膝の上で寝っ転がってふざけてくれる。全身全霊で私を何度も慰めてくれたことを、走馬灯のように思い出します。
うつ病でつらくて泣いている時、いつも元気づけてくれた愛犬。あの子はもういません。
でも、あの子が残したものたちは私の周りにたくさん溢れていて、今も私を見守っていてくれるような気がするんです。
そして、愛犬が大好きだったクッションや毛布を抱きしめて、思いました。
私がまた泣いていたら、あの子がお空で心配してしまう…と。
実は最近、減薬とカウンセリングのどちらもがうまくいっていたのです。泣くことが減って、「お姉ちゃん、頑張ってるよ〜」と愛犬に報告することさえありました。
なのに、そんな矢先に愛犬は死んでしまった。正直、今すぐにでも死んでしまいたいです。あの子と同じお墓に入りたい。辛い現世での生活なんて未練はない、今すぐ愛犬と一緒にいたい。
でも、きっとあの子はそんなの望んでないんだろうな、と思いました。私が泣いていればいつも慰めてくれた。きっと私が泣いていたら「お姉ちゃん、元気出して」って不安がると思うのです。
だから、あの子が不安にならないように、私は泣く前にあの子の笑顔を思い出そうと思いました。そして、愛犬が天国で「あの笑顔の人が僕の飼い主さんだよ」って胸を張れるような、心配しないでいいような飼い主であろうと思ったんです。
まとめ
ペットロスになって、泣いて、ふさぎ込んで、とことん心が落ちるところまで落ちて…そして思いました。
愛犬が天国で安心できるように、いつも笑顔な自分でいたい。
いつも笑顔でいられるようになるにはすごく時間がかかるかもしれない、もしかしたらこの人生では実現しないかもしれない。
でも、頑張りたいです。
愛犬が笑顔になってくれるように、お姉ちゃん泣いてない?っていつも心配してくれた愛犬に報いることができるように、頑張りたいです。