息をするのさえ、つらい

うつ病

うつ病の病状が日に日に悪化してきました。

薬は飲んでいますが、起床〜夕方までの、薬を飲まない時間がしんどいです。

今日1日を振り返ってみます。

息をするのもつらい

どうせみんな私のことなんて嫌いなんだ、厄介者だと思ってるんだ、と、天井をぼーっと見つめながら涙がどんどん出てきます。

動悸が激しく、生きていることへの罪悪感で息をするのも辛いです。

呼吸が浅くなって、はっ、はっ、と息が少ししか吸えません。

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母に手を握ってもらって、少し落ち着く

パニックになっているからか記憶が朦朧としているのですが、母に手を握ってもらいながら、「行かないで、置いていかないで」と何度も泣きました。

「置いていかないよ、ずっとそばにいるよ」と母が頭を撫でて手を握ってくれて、しばらく泣いたら抜け殻のようになって、少し落ち着きました。

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一日中母について回る

朝起きてすぐの動悸がひどく、母に抱きしめてほしくて探しまわりました。

買い物から帰った母を抱きしめて、つらいと泣きました。

そこからは基本的にずっと、自分のメンタルがしんどくても母と一緒にいました。

ひとりよりもずっと、元気になれる気がします。

 

頑張って食事も食べた

食事を食べていないからか、食べ物を噛み砕いて飲み込むという動作がとてもおっくうです。

食欲は少し湧くのですが、積極的には食べたいと思えず…。

でも、元気になりたくて頑張ってご飯を食べました。しゃもじにほんの少しの白米と野菜とおつけものと…。

「食べられたよ」とお母さんにふざけた調子で報告したら、「よかった、よくがんばったね」と笑顔になってくれたのが嬉しくて、食べられてよかったと心から感じました。

 

妹に「いつでも話して」「私のお姉ちゃんだもん」と言ってもらえて泣いた

昨日、妹と久しぶりに話しました。

妹も私と同じく、父による教育虐待でうつ病になりました。

転職の悩みを相談していたら、「無理しないでね」といたわってくれたのが嬉しくて、「話を聞いてくれてありがとう」と泣いてしまいました。

思い返せば20年近く、私も妹も父の教育虐待に必死で耐えてきました。彼の呪いに今も殺されかけています。

私より随分と年若い妹が、「つらい時はいつでも話してね」「だって、お姉ちゃんは私のお姉ちゃんだもの」と涙を流しながら言ってくれたときに、ああ、私たちは2人ともよくこの家で生き抜けたなあと、これまでの苦しかった日々を思って号泣しました。

 

父の異常な教育虐待

勉強以外のことは何をしても褒められませんでした。絵がうまくても、かけっこが早くても、もしできるなら一番でなくてはいけなかった。そして当然勉強もできなければいけなかった。

さらに、父が受からなかった某大学を経て医者になることを、子供全員が強制されていました。

男が一番偉いからと弟のやりたい放題にさせる父、子育てを母に押し付けて世間体だけしか気にしない父…母も私も妹も、父の顔色を伺ってびくびくしながら暮らしていました。

私も妹も、やりたいことがありました。妹はメイクやファッションが好きだし、私は絵を描いたり粘土で工作するのが好きでした。

でも、どちらも父には受け入れてもらえなかった。

愛されず父親から怒られまいと自分の心を守り続けて幼児期を育った私たちは、自分の本当に好きなことを心の奥底に隠したまま、いびつに育って、そして壊れました。

 

夜になると少し心が落ち着く

夜になると、心が少し落ち着きます。

薬を飲んでいるからでもありますが、妹も母も近くにいて、「つらい時はすがれる」「こんなに近くにいる」と思えます。安心できます。

朝はそんなふうに思えないのは、なぜなのでしょう。とても不安になるのです。

明日一日生きぬけば、カウンセリングです。

世の中には嫌な人ばかりいて雑音で溢れていますが、みんな、生き抜こうね。

 

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