最近、抗不安薬を飲んで調子がいい時は障害厚生年金申請の手続きを進めています。
でも、やらなくてはいけないことが手元にあると、必ず不安でお腹がゆるくなります。
「やること」が手元にあるのが嫌でたまらない
私は前職中もそうだったんですが、強迫的なくらい「やること」が手元にあるのが嫌で仕方ありません。
もうなんでもいいから、とにかく早く自分の手元から手放したくてたまらないのです。
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教育虐待の影響か?
幼い頃から私には「休み」がありませんでした。
祝日・休日はいつも何かのコンクールの作品を書かされていて、たくさんの賞をもらうのと引き換えに、私は常に何かコンクールの締め切りに追われていました。
両親はとにかく「賞」と名のつくものが大好きで、日本全国のコンクールに私の作品を片っ端から申し込ませていました。
だから、今も私は自分の手元に何かがあるのが嫌で仕方ないのかもしれないし、際限なく仕事が回されてくる会社が嫌でたまらないのかもしれません。
嫌で仕方なかったのに、拒否できなかった小さい頃の自分を思い出すから。
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絵を描くことは嫌いじゃなかったけど
とはいえ、コンクールにたくさん出させられたのは、嫌な思い出ばかりではありません。
普段は勉強しかさせてもらえないのに、好きな絵を描いていいといわれるのが嬉しかったのです。
でも、結局は親や先生の手で自分の作品は修正されました。彩色の仕方や文章の配置などなどを
それでいくつもの作品は大きな賞を取ったりしたけれど、私は全然嬉しくなかったです。だってそれはもう私の作品ではなくて親や先生の作品だから。
結局、どれだけたくさんの作品を作ってもそれは私の自信につながりませんでした。
私じゃなくて親や先生の技術が評価されただけで、本当の自分では評価されないんだと打ちのめされたのです。
長年自己否定を上塗りさせられてきた
長年、そうやって何度も何度も自己否定を上塗りさせられて、今の私になりました。
だけど、もう自分を否定したくないです。
何度も何度も親に自己否定させられてきたけれど、これからは生きる場所や生き方を自分で選べるのだもの。
いろんな「やること」に、急き立てられない自分になりたい
会社での仕事や障害厚生年金、起きること、寝ること、日々私たちの生活には「やること」が大小さまざまあります。
私はいつもそのどれにも急き立てられて、自分を見失うくらい不安になります。
やることに追われて、追われて…もう何もしたくない、何にも追われたくない、いっそ死んでしまいたいと思うんです。
冗談みたいだけど、顔を洗うことやカーテンを開けることも「やるべきこと」のタスクの一つに思えて、もう生活の全てが「To DO」だらけに思えてきます。
やるべきことで自分の首が締められているように思えてきて、呼吸が本当に苦しくなってくるんです。
これからは、ゆっくり、少しずつ、「やるべきこと」と思って焦らない人生を送りたいです。
お腹の調子も、それに伴ってよくなってくるといいな。
一歩一歩、少しずつ。自分に言い聞かせながらゆっくりやりたいです。