【摂食障害のきっかけ】なぜ普通の女子高生が、10年間も過食嘔吐に苦しんだのか。

うつ病

私は高校1年時に過食嘔吐をしはじめました。

最初は、大学受験のストレスによる一時的なものだと思っていましたが、徐々に癖になり、今では「やめたいのにやめられない」状態になっています。

今回は、普通の女子高生だった私が、なぜ10年も過食嘔吐に苦しむようになったのか。

私の、過食嘔吐体験談をご紹介します。

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過食嘔吐のきっかけは、父に虐められる母親を助けたかったから

自分の母親が父親からひどい扱いを受けていることは、子供ながらに感じていました。

私の父親は、子供には「勉強のできない子供はいらない」と教育虐待をし、妻には「自分の望むことをできない嫁はいらない」とモラルハラスメントをする人でした。

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教育虐待については、コチラの記事をご参照ください。

「あなたのため」教育虐待をうけた父と私の話。

摂食障害を親に告白しました | 教育虐待の末路

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父は母に「こんなこともできないのか」「お里が知れるな」などとよく罵倒していました。

父は母に対して「ど田舎の無教養な娘を、顔がよくて、自分の言うことをよくきくから嫁にもらってやった」というような感覚でいるようでした。

子供の前でおおっぴらには言わずとも、母の様子や、リビングから漏れ聞こえてくるひどい言葉には、何度もつらい気持ちにさせられました。

私は、かわいそうな母を知りながらも何もできませんでした。父が怖かったからです。

父は手をあげることはありませんでしたが、我が家の圧倒的な支配者でした。

だから、母をおおっぴらに守ってあげられなかった。だから、私は母を間接的に守ったり、励ます方法を必死で考えていました。

結果、私は母の作った食事をもりもり食べることで、おいしいよ、あなたの存在は認められているよ、と伝えるという方法を取ることにしました。

母が子供と接するのは、食事のときくらいだったので。

母が「よく食べるねえ」と笑う姿を見るのが嬉しくて、どんどん食べる量は増えていきました。

一度の食事で1〜2キロくらいは食べて、一気に吐くのが普通になっていきました。

平日は朝と晩、休日は朝昼晩と過食嘔吐をして、喉がいつも胃液でひりひりしていたことを思い出します。

でも、私が過食嘔吐をしたところで、実際は全く母への励ましにはなりませんでした。母は日々憔悴していき、うつ病になりました。

そして、母を守りたくて始めたはずの過食嘔吐は、いつの頃からか、ストレス発散法に変わり、もはや依存症のようになっていたんです。

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「自分の思い通りになる未来なんてない」という絶望が、過食嘔吐に走らせたのかも

当時はずっと、「母を守りたくて、自分は過食嘔吐をし始めた」と思っていました。

でも、今思えば、私は母を守りたかったのではなく、本当は、父のコントロールできないことを探し求めて、過食嘔吐に行き着いたのかもしれません。

父は強大で、自分がどれだけ頑張っても、何も自分の思い通りにはならないと絶望していたあの頃。

どんな成績を取るか、どんな部活に入るか、どんな人生を歩むか、全て父の思い通りにならないと怒られるという恐怖に日々怯えていました。

食べることだけは、父は私を止めることはありませんでした。自分がコントロールできる唯一のことだから執着していたのかもしれません。

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父と母は、血の繋がった赤の他人

私は母から生まれたけれど、別の人間です。

冷たい人間と思われるかもしれませんが、父が母にモラルハラスメントをしていることは、父と母が解決すべき問題です。私が介入すべき問題じゃない。

だからこそ、母には過度に感情移入しないようにしたい。

そして、今私の人生は父のコントロール外にあります。

うつ病になって会社をやめたときから、私は父の敷いたレールから外れられました。

私は今、過食嘔吐なんかしなくても自分の人生を好きに決められるんだと自分に言い聞かせたいです。

今まさに過食嘔吐で苦しんでいるあなた、私と一緒に乗り越えていきましょう。共に、苦しみと戦いましょう。

私の過食嘔吐克服体験談は、以下の記事でご紹介しています。

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もしあなたが今、過食嘔吐から抜け出せずにつらい思いをしていたら、ぜひ参考にしてもらえると嬉しいです。

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