ジブリはなぜヘテロフォビアの私にも感動を与えるのか?

恋愛

ヘテロフォビア(異性愛嫌悪)になって久しい私ですが、日本のアニメや映画の中ではジブリ作品だけは好きです。

その理由について考えてみました。

①外見や年齢が基準の愛ではないから

昨日久々に「ハウルの動く城」を見たんですが、やっぱりジブリ作品が好きだな〜と思いました。

というのも、「美しくなければ生きている今がない」と死のうとするハウルに、ソフィは「ばか!ハウルなんてもう知らない!」「私なんて一度だって美しかったことなんてない!!」とわんわん泣きます。

多くの女性は生まれた瞬間から男性の性的な目線に晒され、評価され、若かった時は醜いのだと思い、歳をとれば美しさを諦めはしても若くはないということに苦しめられます。

でもハウルはソフィの若さや美しさを愛しませんでした。生き生きと、自分にできることを実直に丁寧にやりながら、周りの人を大切にする…そんなしなやかな生き様に惹かれたんだと思います。

現実世界の私たち女性は、ほとんどの場合、男性に性欲の処理もしくは与えられなかった母性の補填要員としてしか求められていないからこそ、いわゆる「異性愛」ではないからこそ、ヘテロフォビアの私にも、ジブリ作品は見ていて心地よいのだと思います。

スポンサーリンク

 

 

②性別や種族を超えた愛だから

「ハウルの動く城」では、魔法使いと人間。「千と千尋の神隠し」では、川の守り神と人間。それぞれが性別や種族を超えたキャラクターたちの深い友情や愛が描かれます。

男は女と恋愛すべきだというつまらない固定概念に縛られない、自由な愛が描かれているからこそ、私はとてものびのびとジブリ作品の愛を見ることができます。

スポンサーリンク

 

③性欲を煽るような描写がないから

異性愛をテーマにした作品はどれも、どれも生々しく性欲を煽る描かれ方がなされています。

キスやセックス…そういったものに対して、私は激しい嫌悪感を抱きます。

ほとんどの日本の男性は女性を、言葉にはせずとも子供を産む道具や性的処理の道具としか思っていない。それは、彼らが家族よりも仕事を大切にするという社会的風習からも理解できるでしょう。

キスやセックスの描写を見るたびに、女はお前たち男の性欲処理の道具じゃないと私は怒りの炎が燃え上がります。

性的がなければ繋がれない関係は、結局それにしか重きをおいていない関係だということです。肉欲に支配されただけの関係なんて、愛でもなんでもない。ただの獣同士のまぐわいです。

肉欲という偽物の愛をあたかも真実の愛のごとく描く数多の作品とは異なり、最低限しかそういった描写を出さないジブリ作品は、やはり私にとって「愛」の解釈が一致する稀有な作品だと感じます。

タイトルとURLをコピーしました