愛犬の葬儀を終えて、うつ病の私が思ったこと

うつ病

愛犬の葬儀が終わりました。

葬儀を終えた今、感じていることを書き遺しておきます。

愛犬が死んだ

愛犬が死にました。昨日のお昼まで元気だったのに、突然のことでした。

夜に何度も吐いて、吐き気止めを打って、そして、死にました。

大好きで大好きで仕方なかった、おじいちゃん犬。弟のように思っていたのに、いつの間にか私は見守られる方になっていました。

うつ病になって辛い時、泣いている時、いつも愛犬が涙を舐めにきてくれました。

何も言わずに体をくっつけて寝てくれたり、愛犬の温もりが何度も私を死の淵から救ってくれました。

そんな愛犬が、突然死にました。

息をしなくなり、冷たくなっていく愛犬の亡骸を前に、何も考えられませんでした。保冷剤で愛犬の体を冷やしながら、抱きしめ、泣き続けました。

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火葬の予約をするのが、辛かった

夏は遺体が腐りやすい。だから、早く火葬してあげなくてはいけない。

それは分かっていたけれど、火葬場を検索する手はずっと震えていました。

大好きな愛犬が、火葬したらいなくなってしまう。体がなくなってしまう。

これまで私を何度も舐めてくれた舌も、見つめてくれたまあるい瞳も、数え切れないほどブラッシングした柔らかな毛も、わたしが帰宅したり起床するとちぎれんばかりに振ってくれたしっぽも、全部。

愛犬の体を失うのが怖くてたまらなくて、お別れしたくないと号泣しました。

でも、ピンピンコロリと亡くなった愛犬が私のエゴで腐敗していくのも見ていられませんでした。泣きながら火葬の予約を入れ、愛犬を冷やし続けました。

火葬は、明日です。

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火葬の日、朦朧と朝を迎えた

愛犬の遺体のそばで、私は朝を迎えました。

一晩中、保冷剤が熱くなっていないか触っては冷やしたりと何度も繰り返しました。

寝ているような、寝ていないような、朦朧とした状態で朝を迎えました。

愛犬は、朝の光の中で本当に美しかった。

何度も見た光景です。自分が起床しても、まだ愛犬が寝ていて、その寝顔を真横で見たことは何度もあります。

でも、そんなことをできるのは今日が最後です。このかわいい寝顔を見られるのは、今日が最後です。

まるで寝ぼけているような表情に見えるのが苦しくて、愛犬の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら抱きしめました。いつもなら「お姉ちゃん、暑いよ」と手で顔を押しのけられるけれど、今日の愛犬は私に抱きしめられるがままでした。

私には妹がいますが、彼女も犬のそばで寝ていました。彼女は夢の中で愛犬を見たそうです。

夜空の中、扉が一つだけぽっかりと浮かんでいる。扉を開けると、真っ白な世界の中、愛犬がおすわりしていて、こちらを嬉しそうに振り返ったのだそうです。

それを聞いて、家族で泣きました。

もしかしたら、家族に元気な姿を見せたかったのかもしれない。最後に何か遺したいと思ってくれたのかもしれない。

分からないけれど、愛犬への想いがあふれて、涙になってぼろぼろと流れました。

火葬場までの車中、ずっと愛犬の手を握っていた

家族で(もちろん愛犬も)身支度を整えて、火葬場に向かいました。

最後のブラッシングをして、鼻から流れてしまう体液を拭いて、大きなバスケットに入れて、車に乗せます。

火葬場に行くまでの間、ずっと私は愛犬の手を握っていました。小さくて柔らかい肉球の感触が、手に伝わってきます。

ふにふにと押したり、小さな手の先を触ったり、爪を撫でたり。16年間いったい何万回したのでしょう。

火葬場に行くのは怖くないよ、大丈夫だよ、ずっと一緒だよ、と私は愛犬を励ましたくて手を握っているつもりだったけれど、怖がっていたのは私の方だった、と思います。

愛犬の体を失うのが怖くて、行かないでと必死で願っていました。そうすることができないのはよく分かっているつもりなのに。

火葬場に早めに着いてしまい、家族で愛犬を撫でて声をかけました。そして、最期に愛犬が食べるはずだったヒレ肉とささみを、「お弁当」として棺に入れ、同じものを家族も食べました。

まるでキリストが信徒たちに与えたパンのようで、肉を噛み締めている間、涙が止まらなかったです。

愛犬は人間の食べ物にあまり興味がなかったけれど、お肉は大好きでした。赤身のお肉を犬用と自分たち用に分けて焼いて食べたよね、と家族で噛みしめながら苦しくてたまらなかったです。

火葬場での手続き

火葬場では、ゆるやかに手続きが進んでいきます。家族と愛犬の名前を書類に書く、愛犬の体重を計る(10kgを超えていたはずの体重は、8kg弱にまで減っていました)、愛犬を入れる棺を決める、愛犬の目や口を拭く、花を供える、家族の愛用していたものを棺に入れる…。

愛犬はきつねとイルカのぬいぐるみが好きでした。ぬいぐるみを両手の間に入れ、寂しくないようにしました。「お弁当」は天国に行くときにお腹が空かないように、顔の近くに置きました。家族のハンカチやパジャマ、愛犬が好きだった毛布の切れ端も入れます。大きな百合やカーネーションを愛犬の顔の周りに置き、いい香りをいつでも嗅げるようにしました。

棺桶の中で綺麗に飾られていく愛犬を見ながら、線香をあげながら、ずっと心が揺れて、不安で仕方ありませんでした。ずっと涙がこぼれそうで、言葉を発することができませんでした。

火葬場で、本当に最後のお別れ

そして、愛犬にお別れをみんなでしました。大丈夫だよ、大好きだよ、待っててね…家族で思い思いに言葉を告げます。

棺を閉め、火葬場へ向かいました。

火葬場の記憶は、辛くて…思い出したくないくらいです。でも、形ある愛犬の最後の記憶だから、絶対絶対忘れたくないと、泣かずに目を見開いて見続けました。

火葬場のスイッチは、母と妹と私の3人で回しました。カチリと回しきった途端、ボッ、と火が入る音が聞こえました。

その瞬間、「行かないで」「私も連れて行って」と、火葬場の中に飛び込みたいくらい絶望しました。

さようならと、また虹の橋のふもとで会おうねと、何度も何度も言ったのに、全然覚悟できていなかった。

泣き叫びはしなかったけれど、シャツのすそを握りしめて、両目を開いたままずっと泣いていました。

愛犬が燃えるまで、1時間と少し

火葬場を出た後、妹がぽつりと言いました。

「火を入れるスイッチを押す瞬間、本当に辛かった…」

その後、声をあげて泣き始めて、私は妹の背をさすることしかできませんでした。

普段気丈な妹は、辛いとか苦しいとか弱音を吐いたことがありません。これが、私が初めて聞いた彼女の「辛い」でした。

1時間の間、遠く聞こえる火の音をぼうっと聞いていました。

母も妹も泣き疲れたのかぼうっとしていましたが、そのうち、誰からともなく3人で愛犬の過去の話をし始めました。

「初めて家に来たとき、お母さんのセーターに爪を引っ掛けてびっくりしてたね」

「5歳くらいの時、庭に大きな穴を掘ってその中に寝てたのに気づかなくて、家族全員で探し回ったね」

「歳とってからは目が見えにくいみたいだったけど、家族が顔を近づけるとよく舐めてくれたね」

どの年齢の時も、みんな鮮明に愛犬のことを思い出せました。かわいかったね、遺体になってもかわいくてかっこよかったね…と、泣き笑いしながら、ぽつぽつと話し続けました。

骨を拾う

生まれて初めて、骨を拾いました。

火葬が終わった後、愛犬の骨がきれいに愛犬の形に並べられていました。

頭蓋骨、肩甲骨、背骨…そしてしっぽの花の先まで、きちんと愛犬の形に並んでいて、思わず愛犬の名前を呼びながら駆け寄りました。

しっぽの先、手足の爪の先までしっかり骨が残っていました。職員さんが

「火葬場の風で飛んでしまったり、燃え尽きてしまうことが多いんですが、頑張って残してくれましたね」

と言ってくださったのですが、病気になった時に家族を不安にさせまいと我慢強く耐え続けたり、雷の音などに家族が不安がっていたらいの一番に慰めに行っていた愛犬の姿を思い出して、「頑張りすぎだよ」と家族で泣いてしまいました。

ひとつひとつ、喉仏や脊骨を箸でつまんで骨壺に入れました。

毎日自分が撫でていた愛犬の頭、喉、手足、尻尾に背中に…全部がああもう骨になってしまったんだと思って、涙が止まらなかったです。

お経をあげてもらう

骨壺にすべてをおさめた後は、職員さんがお経をあげてくださいました。

焼香をあげながら、小さくなってしまった愛犬に祈りました。天国に着けましたか、お弁当はおいしかったですか、家族の匂いがついたハンカチや毛布は分かりましたか、大好きだった近所の女の子のわんこに出会えましたか…。

天国でどうか元気でいてね、と必死で祈りました。

遺骨を家に持ち帰る

遺骨を家に持ち帰る途中、いつも行っていた公園のそばを通りました。

夏の日差しに緑が青々と映えていて、その木の下に愛犬が見えた気がして、苦しくてたまらなかったです。

土が好き、木の葉が好きだった愛犬。ガサガサと音を立てて駆け回るのが好きで、木の葉があればまっさきに飛び込んでいっていました。

もしあと1日生きていたら、あれができた、これができた…と意味のないことを骨壺を抱きながら思いました。

何も愛犬にしてあげられなかった自分への後悔が、全身に襲いました。

自宅に着いてからは、骨壺をいつも愛犬が好きだった場所の近くに置いて、お花を飾りました。喉が乾かないように水も、お腹が空かないようにご飯もお供えしました。

まだ何年も生きてくれると信じていたから、ご飯もおやつも、山のようにあるのです。

手を合わせて改めて祈りながら、家族全員からすすり泣きが聞こえました。

愛犬の死を、まだ受け入れられない

葬儀を終えました。自分が彼の遺体に火を入れました。骨壺も持ちました。

でも、でもまだ愛犬がそばにいてくれるような気がするんです。

朝起きれば自分の部屋から出てきて「今日の体調はどう?」って顔を舐めてくれそうだし、耳をすませば、カリカリご飯は飽きたよ〜って拗ねた声でワン!と話すのが聞こえそうです。

部屋のどこかに隠れているんじゃないか、私が葬儀をしたのは別の世界のことで、この世界のことじゃないんじゃないかと必死で思い込もうとしています。

でも、私の手には愛犬の遺体を棺に入れたときの冷たくぐんにゃりとした感触が残っていて、それを思い出すたびに「もう愛犬はこの世にいないんだ」と突き付けられるのです。

毎日泣いているお姉ちゃんを許してほしい

きっと今の私の姿を愛犬が見たら、「お姉ちゃん、また泣いてる!」ってぷんすかしながら涙を舐めて膝の上でおすわりをするんだと思います。

何度も何度も私が過去の出来事に心を痛めるたびに、愛犬はそんなふうに慰めてくれました。

でも、もう慰めてくれる彼はいません。

毎日毎日泣いています。泣いても心の苦しみは晴れません。でも、泣かずにはおられないのです。

今は毎日泣いているけれど、きっと元気になるから、ちゃんと笑顔になるから、どうか今はこんなに泣き虫になることを許してほしい、とお空にいる愛犬に向けて懺悔しています。

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