「何歳になっても、モテたい」「学校やクラブでちやほやされたい」「モテたりちやほやされている人が、妬ましい。悔しい。」
あなたはこういう、願望や嫉妬を感じたことはありませんか。
他人を妬んでイライラするのは、あなたが「条件つきでしか他人を愛せない人」だからです。
今回は「他人からちやほやされたい!という気持ちをなくす方法」をご紹介していきます。
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どうして「モテたい」「ちやほやされたい」って思うの?
学校やサークル、クラブでモテる人がムカつく。会社でちやほやされている人が、ウザい。
身近にモテている人を見ると、腹が立ちますよね。
テレビや雑誌、InstagramなどSNSでの有名人を見て、私もこんな風にたくさんのファンがほしい…と落ち込むこともあります。
でも、どうして「モテたい」「ちやほやされたい」って思うんでしょうか。
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ちやほやされたいけど、「誰でもいいから愛されたい」わけじゃない
ちやほやされたい人は、「誰でもいいから私を愛してほしい!ちやほやしてほしい!」と言います。
でも、実は「誰でもいい」わけじゃないんです。
ちやほやされたい!という言葉には、隠れた前提条件が含まれています。
「(①私の愛してほしいタイミングに ②いつでも私を愛してくれて ③私を傷つけることは絶対に言わない、という3条件を満たした何百〜何千人もの)人にちやほやされたい!」ということです。
この3条件に合わない人には、愛されたくないんです。
チヤホヤされたい人は、自分の条件で勝手に人を判断して、その人が自分を愛する資格があるかを決めます。
「あなたは私の条件を満たしているから、愛してもいいよ。私が望むように愛して、絶対傷つけることは言わないでね。」と、女王様のようにふんぞり返っているんです。お前は何様だ!と思うでしょう。
こういう風に、「他人を条件で判断し、条件を満たす人にだけ愛されたいと思う人」のことを、アメリカの心理学者エイブラハム・マズローは「欠乏に動機付けられた人」と呼んでいます。
「(特定の条件を満たす人からの)愛が足りない!」という欠乏感に動機付けられた行動をする人、という意味です。以下では、「欠乏の人」と呼びます。
[aside type=”normal”]参考文献:マズローの欲求階層説、マズロー心理学入門―人間性心理学の源流を求めて[/aside]
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欠乏の人になるな。近寄るな。
「欠乏の人」の近くに「欠乏の人」がいた場合は、悲惨です。
特に2人が恋愛関係だった場合、相手が自分の気に入らない言動・行動をするなら、相手に愛を与えなくなります。
そのため、相手が望む条件に自分を合わせようと無理をします。
どれだけ一緒にいても「本当の自分」をさらけ出せず、死ぬまで「モテたい」「愛されたい」という嫉妬・孤独が癒されないのです。
一時的にはお互いに「必要としている・されている」「愛している・されている」と錯覚しても、徐々に、本当は互いを本質的には求めていないことに気づきます。
相手は、あなたが相手の要求を全て肯定して実行しないと、どんどん不機嫌になります。愛してくれなくなります。
例えば、ファッションを変えたら「俺は前のファッションの方が好きだった」と急に冷たくなる恋人や、完璧に家事をしないと「結婚しなければよかった」と罵ってくる旦那などです。
周りにそんな人はいませんか。
彼はあなたを愛していない。条件を満たす人なら誰でもいい。
彼・彼女はあなた自身ではなく、条件を満たしたあなた「しか」愛していません。
彼・彼女が求めているのは、自分が提示する条件を忠実に満たす人形です。
彼・彼女は「お前の価値は、私の提示する条件を満たしていることだけだ。条件を満たさないなら必要ない。」と思っているでしょう。
彼・彼女の条件を満たす人形なら、代わりはいくらでもいるのです。彼にとって、一緒に生きるのは、あなたじゃなくてもいい。
いつまでたっても、あなたは彼に本当の自分を愛してもらえません。いつも、あなたは彼が求める道化を演じなくてはいけない。
自分を殺すことを強いられるので、その人といるのが苦しくなります。
「モテたい」「ちやほやされたい」という苦しみは、ありのままの自分を受け入れ、愛してくれる人がいて初めて癒やされます。
偽った自分を受け入れられたところで、心の奥底の孤独は癒せません。
ある特定の自分しか愛されないのは、相手が欠乏の人である証拠です。そして、そんな人を求めるあなたも、欠乏の人なのです。
「欠乏の人」を受け入れてくれるのは「自己実現している人」
残念ながら、「欠乏の人」は「欠乏の人」を呼び寄せます。
なぜなら、欠乏の人は常に「本当の自分をわかってくれる人はいない」と苦しんでいるので、条件を満たす人には、手当たり次第に賞賛を振りまくのです。
そして、同じように自分にも賞賛を返すようにねだります。
自己実現している人は、「この人は私を賞賛する代わりに「自分の望む言動や行動をしてほしい」と求めているな。私自身を求めているわけじゃないな。」とすぐ気づけます。
しかし欠乏の人は愛に飢えているから、愛を振りまかれると「自分そのものが求められている」と錯覚してしまうんです。
自分自身が求められているか、条件で愛されているかはどうやったら判断できる?
欠乏の人は、必ず「条件付きの愛情」を振りまいてきます。
条件とは「その人自身の自尊心を傷つけず、かつ、自尊心を満足させる」ということです。
「モテるね、かっこいいね」「仕事ができるね」など褒めないと不機嫌になったり、急にイメチェンした時に冷たくなったりするのは、「欠乏の人」でしょう。
逆に言うと、こういう条件を他人に出さないのが、自己実現している人です。
自分のどんな一面を見せても受け入れてくれるのであれば、相手は「自己実現の人」と思って良いのではないでしょうか。
どうしたら「自己実現している人」になれる?
欠乏の人は、どうすれば「自己実現している人」になれるんでしょうか。
欠乏の人は、「自分の提示する条件を満たす人から賞賛を受けること」が一番の喜びです。
逆に言うと、他人からの批判に耐性がありません。
ところが、自己実現している人にとって、他人から自分への反応はどうでもいいんです。
自分の主な満足は、他人から自分への反応ではなく、自分の内的な成長によって得られると思っているからです。
なので、自己実現している人になりたい!と思ったら、自分の内的な成長を第一にすればいいんです。
誰に何を言われたとか、どんな対応をされたとか、自分が何を言って、人はどう思ったかなんて気にしないでいいです。
あなたに批判や中傷をしてくる人は「欠乏の人」なんですから。
あなたが自分の生き方、考え方を貫ければ、欠乏の人から脱せます。
自己実現は目標ではなく、過程。
「自己実現している人」というと、批判を気にせず我が道を突き進むスーパーマンのように思えますよね。
でも、マズローは「自己実現は「成長したい」と考え、行動する過程を指す」と言っています。
だから、今この記事を読んで「これから欠乏の人を脱するぞー!」と思い始めた時から、あなたはもう「自己実現している人」なのです。
参考記事:「自己実現は、成長過程そのもの」(慶應義塾大学特任教授 若新 雄純氏)
欠乏の人から脱出し、自己実現している人になろう。嫉妬深く傷付きやすい人から、強い人になろう。
欠乏の人は、友人に対しても、恋人に対しても要求が多いです。
そして、自己実現している人は自分を偽らないので、こういう「自分への賞賛しか求めていない」ような人のそばにはいません。
結局、欠乏の人の周りには、自分を偽っても愛を求める欠乏の人、つまり心の底で孤独な人ばかりが集まるようになります。
チヤホヤされたい!という人には結局似た人しか集まってこないし、互いに偽りの自分しか見せられず、消耗して終わるだけなんです。
ちやほやされたい!という気持ちを捨てるには「自己実現している人になろう!」と心がけ、自分の内的成長を一番に考えて行動するようにしましょう。
- 「モテたい」「ちやほやされたい」は、条件付きの愛情を求める人
- 彼らは、ありのままの自分を愛してくれる「自己実現の人」を求めている
- 他人からの賞賛ではなく、自分の内的成長を喜ぶ人になれ
他人からの賞賛を求めない、自己実現の人を目指しましょう!