会社や学校の人間関係に疲れている、あなた。
「ひとりになるのは怖い」「でも、傷つけられたくない」と、ずっと苦しんでいませんか。
今回は、社会学者である加藤諦三 著「自分を変える」をもとに、「ベタベタとした日本の人間関係の中で、どうやってしなやかに孤独を克服して生きるのか?」の答えをお教えします。
職場のパワハラ、教育虐待で苦しんだ私の体験談も交えて、「孤独に、軽やかに生きる」ことの体験談もご紹介します。
今、人間関係で苦しむあなたの心が、少しでも軽くなるお手伝いができたらうれしいです。
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日本の人間関係はベタベタしている
日本は、家庭内も家庭外もベタベタしている。
例えば、日本では離婚は社会的自殺であり、陰鬱とした閉鎖的な集団の中で生き続ける。
スペインやイタリアなどのキリスト教圏では離婚はよろこばれないが、それが正しいと思ってしているのと、ただ世間を恐れているのではまったく違う。
閉鎖的な集団があり、その内部においては敵意の放出が禁止され、個人を内部から縛り付けている美徳があり、そうした中で抑圧が高まるばかりなのが日本である。
個というものをまったく無視し、ナルシスティックに結合している。
それはまるで、未熟な女子学生の友情のようだ。
勝手に都合よく相手を解釈し、ベタベタとトイレにまで一緒についていく。そして、一旦割れると挨拶さえしなくなる。
社会の不合理を正す人が素晴らしいのではなく、自分たちの不満の不合理を指摘する人が正しいと考える。これこそナルシズムだ。
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どうして日本人は未熟で自閉的な考えしかできないのか?
どうして人は未熟で自閉的な考えしかできないのか?どうしてこんなにもナルシストなのか?
それは家庭である。
家庭と個人の対決を通して近代的個人に成長する機会がないのである。
家庭に逆らうことを禁止して、個人はナルシストになりたいだけナルシストになっている。
成長とはナルシズムを克服するところにあるにもかかわらず、家庭がナルシズムを助長しているのである。
ナルシズムとは自己陶酔であって、その第一の結果は他人を理解できないということである。
他人を理解できないにもかかわらず他人を理解できたと思う。
ナルシストは他人の苦しみを理解できると思いこむのである。そういった思い上がりがナルシストなのである。
自分が成長する以外に生きる方法がないという激しい状況に、日本の若者は立たされたことがない。
だから、20歳を過ぎても自閉的思考しかできない。したがってまた現実的にひとつの力になりえない。
そして、家庭の中で行き場を失っている不安を外に向けて発散できるルートを求める。しかも、そのルートが社会的に認められたルートである必要がある。
だからこそ、ネット上で「正義感を振りかざす人々」が続出するのだ。
社会的に認められた「正義」をふりかざして、不安を発散しようとしているのだ。
彼らは憎しみを表出することによって、社会から孤立する危険を冒すだけの勇気がないから、社会的に認められたルートで不安を発散しようとするのである。
ナルシスティックな日本の風土において、独立は孤立につながりやすく、人生の生き方はただ1つとなりやすい。
「これが理想の人生」というパターンを作り上げてしまう日本的風土は、まことに恐ろしい。
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独立することは、孤独な人生に気がつき、血みどろの心理的離乳を遂げること
人間が真に独立できたかどうかということは、何を基準にすればわかるのだろうか。
それは、その人間は自分がひとりで味わった精神的懊悩を誰かにわかってもらえなくても生きていかれるようになった時である。
「どうかわかってください。誰にわかられなくても、あなたにだけはわかってほしいのです」と叫びたいときが人間にはあるだろう。
しかし、人間が本当に独立するということは、この叫びさえ聞き取られなくても、なおかつ生きていけるということである。
この恐ろしいほどの寂しさに耐えることが独立するということなのである。
最愛の人にさえ本当の気持ちを理解してもらえずに生きる苦しさを味わうことなしには、人間は独立することができない。
血みどろになりながら、苦しんで、苦しんで、苦しんではじめて、人間は心理的離乳を遂げて独立していくのである。
人間はこの苦しさ、寂しさに耐えられないからこそ、自分のまわりの人々が理解できる範囲のなかで動こうとする。
そして、たしかに、寂しさをとらず、わずらわしさを選び取ることもひとつの人生である。
しかし、それゆえに日本人は仲間はずれという日本的リンチを行うのではないか。
それゆえに、あのいやらしいマイホームの広告が出るのではないか。
独立することを避け、わずらわしさを選んだ人間の欲求不満が、他人へのいやがらせとなって現れるのではないか。
自分たちと違う人生を歩もうとする人を寄ってたかっていじめるのは、そのためではないか。
なぜ「売れ残り」という言葉があるのだ。なぜ「落伍者」という言葉があるのだ。
寂しさを避けて、わずらわしい人生を送ること自体はけっして悪いことではない。
しかし、わずらわしい人生を選んだ人間の体質は、他人には決して加害者とならざるを得ない体質なのである。
独立できないということは他人を必要とするということである。他人を必要とする人間は、必ず他人に干渉してくる。
自分と同じ人生を他人に強要し、それによってその人々に自分を認めさせずには生きていかれないのである。
自分たちの送っている生活方式以外をけっして認めず、排斥しようとする人々、それこそがナルシストなのである。
自分たちとちがったものを認めることが自分たちの価値を減じるように感じる人々はナルシストである。
孤独な人生を不安に思わないで
他人を必要とする人々からの悪意、圧力に害された時、あなたは孤独だとつらく感じるでしょう。
でも、それは決してあなたが悪いのではなく、他人を必要とする人々が、日々の不安のはけ口を誰かに向けようと必死になっているだけなのです。
独立することを怖がらないで、不安に思わないで。
私は、両親から「勉強しない奴は死ね」という教育虐待を受け、職場では同僚から「デブ」「ブス」とイスを蹴られたり、私だけ上司から大勢の前で叱責されたり、結婚しようと愛を誓った恋人から浮気をされたり…さまざまな経験をしてきました。
うつ病になって「これ以上生きていても楽しいことなんてない」「死んだほうがましだ」と何度も思いましたし、孤独感を感じることはよくあります。
でも、孤独なのは、間違ったことでも、誰かから非難されるものでもありません。
孤独を感じてつらいのは、あなたが今まさに社会や家庭からの心理的離乳を経験しているからです。
今まさにあなたは、さなぎから羽化しはじめた蝶になろうとしているのです。
孤独がさびしい、つらいと嘆き、ベタベタとした人間関係を求める間は、あなたはわずらわしさの沼から生涯抜けられないでしょう。
つらいと感じ、どうしたらいいのかと悩んでいる今こそ、あなたは独立したあなたになるチャンスなのです。
決して、こんなに辛いのは世界で自分だけだ、死んでしまいたいなんて思わないでください。
未来に決していいことがないなんて思わないでください。
生きる意味なんてないのに、なぜ生きていなくてはいけないのと自殺しないでください。
孤独は、あなたを蝕みはしません。
孤独は、あなたを強く美しくする、試練なのです。
今、ベタベタした人間関係に耽溺する世間のひとたちから阻害されてつらいと思っているなら、あなたは「成長する機会を与えられた、選ばれた人間」だと思うべきです。
人生の中で、こうやって「生きるのがつらい」と思うほど苦しめる人は、そう多くはありません。
あなたは、数少ない「独立した人間」に成長するチケットを今手に入れたのです。
決して、死の誘惑に負けないで。
死んでも楽になんてなりません。もっと楽しいことを感じて、経験して、「ああ面白かった!」と言って死にましょう。
孤独や不安を感じたら、私は、僕は、ひとりぼっちだと感じたら、ここに戻ってきてください。
私はいつでもあなたを待っているし、決して否定なんかしません。あなたを心から受け入れるし、愛し受け止めます。
大丈夫、あなたはただ生きているだけで魅力的です。
あらゆる孤独や不安、憎しみに負けないでください。
私と一緒に、独立した人間になる道へ踏み出しましょう。