うつ病で休職して2年間、休職中の過ごし方はこんな感じでした。

こんにちは。うつ病闘病中、なまけりー(@namakerie)です。

私は会社を2年間休職していたんですが、休職中ってめちゃくちゃ不安になりますよね。

みんな何をしてるんだろう?うつ病ってどうしたら治るの?

将来への不安、皆に置いていかれる不安‥それらが恐怖となって、襲い掛かってくるでしょう。

今回は、私が2年間の休職中に何をしていたか、体験談をご紹介します。

今、休職しようか悩んでいる方、休職中の方、うつ病を闘病中の方の、

苦しみを紛らわすことができる材料になれば幸いです。

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パッと読むための見出し

うつ病を発症して1ヶ月目。焦って転職活動をしたが逆効果。病状が悪化

新卒で入行した会社で、私はうつ病を発症しました。

厳しい上司のもとで早朝から深夜まで働き詰めの毎日‥

そして、ある日突然、玄関から動けなくなったんです。

その日のうちに病院へ駆け込んだところ、うつ病と診断されました。

その日から1ヶ月間休職期間に入ったのですが、その頃の私は、常に何かに追われていました。

「しばらく休みなさい」と医者に言われても、

「せっかく休めているんだから、何かしないと」

「休職してしまったら、もう今の会社で栄転は見込めない。転職活動しなきゃ。」

と、1ヶ月の休職期間をすべて転職活動に費やしていました。

今思えば、本当にバカでした。

休みなさいと言われているんだから、体も心も休ませてあげればよかったんです。

なのに、当時の私は、何か仕事のために動いていないと、誰かに怒られる気がしたんです。

そんな私の、当時の1日スケジュールはこんな感じ。

時間 行動内容 当時の気持ち
8:00 起床 在職中の起床時間は6:00。休職してから起床時間がどんどん遅くなるのが怖かった。
起床時間が遅くなるたびに、自分は不甲斐ないな‥どうしようもないな‥と責めていた。寝ても疲れが取れなかった。
8:00~8:30 朝食・身支度 朝食は近くのコンビニで買った、安い食材をとりあえず食べていた。
「仕事もしていないくせにお金を使う=悪いこと」だと思っていたので、高い食べ物を買いたくなかった。
9:00~14:00 転職サイト巡り 複数の転職サイトに登録していたので、履歴書を書いたり、推敲したり、応募したりしていた。
でも、「何かやらなきゃ」という焦りだけで行動していたので、身が入らずダラダラ活動していた。
14:00~14:30 散歩 気分が良ければ散歩したが、気分がいいのは月に1、2回ほど。ほとんど外には出なかった。
14:30~18:30 転職サイト、うつ病患者の人のブログ巡り 「早くうつ病を治す方法」とか、怪しげなサイトもよく見ていた。でも、まだ「そういうものにお金を払っても治らない」という理性はかろうじてあった。
転職できるのか、自分はこのまま生き続けていて幸せになれるのか、すべてが不安だった。
18:30~19:00 夕食 安いパンなどを食べる。何を食べても喜びはなかった。
19:00~20:00 入浴 気分が良ければ入浴したが、1週間に1回程度。病院に行く前に入っていた。
いつもは入るのが面倒でぼーっとしていた。
20:00~20:30 就寝準備 パジャマに着替えるのも、億劫だった。が、一応着替えはしていた。でも、洗濯が面倒だったので、1週間〜2週間ぶんを溜めて一気に洗っていた。
20:30~ 就寝 ベッドに横になりながら、ネットを見ていた。自分の会社のこと、仕事のことを検索してはブルーになっていた。

食事以外は、ずっとぼんやり転職活動をしていました。

履歴書なども書いて、実際にエントリーもしていました。

書類審査を通って、実際に面接に来てくださいと行ってくださる会社もあったのに、

いざ「次のステージへ」と言われると、尻ごんでしまい、お断りした記憶があります。

当時の私は、本気で転職したかったわけではなかったんです。

ただ、「私は怠けているんじゃない。頑張っているんだ」と、自分に言い訳したかっただけなんです。

本来ならばしっかり休むべき期間に、自分を更に追い込んでしまった。

そのせいで、病状は深刻化。

私の休職期間はさらに延びることになりました。

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2〜4ヶ月目、実家に帰省。復職するなら東京でするから‥と、改めて一人暮らしを再開

2〜4ヶ月目は、両親が私を心配に思ってか、実家に帰ってくるように強く言われました。

この時は、転職活動はほとんどしていませんでした。

転職活動をすることは私にとって、「あなたは社会になくてはならない存在だ」とどこかの会社から言われたいがための活動だったんです。

実家に戻れば、家族が私の存在を肯定してくれます。

それゆえに、転職活動の必要性を感じなかったんですよね。

しばらく実家にいたものの、この時期は過食嘔吐が本当にひどかったです。

1日3回、4回と過食嘔吐をするので、家の食材がすぐになくなります。

私自身も、吐くことで疲れ切ってしまい、ひたすら寝たきりの生活でした。

この時、一番ストレスを感じていたのは、父からの言葉。

父は帰宅すると毎晩「今日はどうだった?」と私に聞くんです。

それはまるで、

「今日は昨日よりも何か進歩したよね?」

「ただ寝てるだけじゃなく、病気からの回復のために何か努力したんだよね?」

と、私を責めているような口調でした。

父は、うつ病という病気について全く理解しようとしない人でした。

なので、「どんな言葉をうつ病患者にかけてはいけないか」をこちらが伝えても

「そんな意図で言ってるわけじゃない。そういう、自虐的な受け取り方をするお前が悪い」

と逆に責めてきました。

それが苦しくて、胸の痛みを紛らわせるために吐き続けました。

このままでは体を壊してしまうと母にすがり、結局、東京に戻ることに。

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5ヶ月目、会社の産業医から「会社で検査する。明日会社へ来い」と言われ、過呼吸に

東京に戻ると、また私はダラダラと転職活動を再開しました。

それ以外に、私の存在を肯定してくれるものがなかったから。

3分診療のメンタルクリニックで、さらに病状が悪化

カウンセリングには2回だけ行きましたが、

回を追うごとに悪化する気がして、3回目以降は行きませんでした。

当時私がかかっていた病院は大手のメンタルクリニックです。

ここは3分診療で有名だったんですが、私はほかの選択肢を選ぶのが面倒で通い続けていました。

まあ、都内のほとんどのメンタルクリニックが3分診療なんですけどね‥。

3分診療とは、3分だけ医者が診療し、あとは医療とは専門外のカウンセラーに丸投げな診療方法のことです。

初回だけ医者が1時間話を聞いてくれましたが、2回目以降は3分診療になりました。

3分なんて、最近の病状を話していたらすぐに終わってしまいます。

うつ病は病気です。なのに、医者以外が治療するなんておかしいですよね。

カウンセラーは私をADHDと決めつけて「私と同じ大学出身なのね」と求めていない個人情報をオープンにし、

「私とあなたは同じ境遇なのに、私は幸せ。あなたはこんな風になってしまって、かわいそうな子」

と見下すように嘲笑し、ただただ私を辱めました。

これが本当につらかった。

まるで世間の人すべてが、私のことをそう思っているように感じたんです。

うつ病になったことで、自分はより社会の中で孤立しているんだと思いました。苦しかった。

産業医からの突然「明日面談します」との宣告。「誰も信じられない」

そしてある日、会社の産業医から突然電話がかかってきました。

「明日、会社で面談をします。あなたの上司にも、この面談の件を伝えておいてください。」

私は、上司のパワハラでうつ病になったんです。

なのに、うつ病の原因である上司に、連絡しろというのか?

この産業医は、私に死ねと言っているのか?

しかも、うつ病が発症する原因となった場所に、行かなければならないのか?

うつ病になった方は分からないかもしれませんが、

うつ病の原因となった人や場所に近づくだけで、うつ病患者は激しい拒否反応を起こします。

お願いですから、どうか連絡だけは許してください。

連絡しなければ会社を辞めさせると言われても、構いません。

会社には行けません。怖いんです。

そんなことさせるなら、いっそ死なせてください。お願いします。

と泣きながら産業医に懇願しました。

産業医は私の必死さに驚いたのか、面談は取りやめてくれてくれました。

でも、この時に思ったんです。

それまで、産業医というのは、会社の社員に寄り添ってくれる医者、つまり社員の味方だと思っていたんです。

でも、違った。

あの人たちは、うつ病という病気さえ理解しようとせず、ただ上司の命令に従うだけの人形なんだ。

医者のくせに!!

人の命を左右できる免許を持っているくせに!!

病人のことなんて、どうでもいいんだ!!!

怒りと悲しみ、うつ病という病への無知さに、悔しくて涙がただただ溢れました。

この時から、会社が怖い、会社に関係する人が怖い、と、自分の殻にどんどん引きこもるようになりました。

誰も私のことを理解しようとなんてしてくれないんだ。

私は、理解しようと努めるだけの価値もない人間だと思われているんだ。

孤独感を日に日に強めていきました。

4〜5ヶ月目、うつ病ブログ開始。主治医探しで3回病院を変える

転職活動はこの頃から徐々にしなくなっていました。

ずっと心は沈んでいるものの、自殺の衝動や、ずっと死にたいと考えることはなくなってきました。

うつ病の経過報告をするブログを始めたからです。

yahooブログで始めたんですが、内容はただただ心の声を叫ぶためだけのものでした。

それでも、「私も同じ症状」「ひとりじゃないよ」とコメントしてくれる、うつ病など精神病で苦しむ仲間ができて、

「私だけがこの社会でひとりぼっちじゃないんだ‥」と安心することができたんですよね。

少し元気になってきたので、主治医を変える旅に出ることにしました。

うつ病患者ごとに、適切な治療法は違う

まず最初に、大学病院の精神科に行きました。

私は親族に医療関係者が多いんですが、

「大学勤務の医者は、開業医よりも最新の医療情報に敏感だし、知識が豊富だ」

と幼い頃から耳にしてきました。

なので、知識豊富な専門家に自分の病状を診てもらい、「何が最適な治療法なのか」を教えてもらいたかったんです。

間違った治療法をしてしまうと病状がより悪化することは、最初にかかったメンタルクリニックで痛感していたので。

診療の結果、私には「精神分析的精神療法(力動的心理療法)」と呼ばれるものが最適だと言われました。

うつ病の治療法では、認知行動療法が有名です。

「現実の受け取り方」や「ものの見方」を認知というのですが、認知行動療法とは「認知に働きかけて、こころのストレスを軽くしていく治療法」のことです。

私が勧められた「精神分析的精神療法(力動的心理療法)」は、認知行動療法に比べ、かなり時間のかかる治療法です。

患者自身の内にある成長しようとする力、健康な働きをカウンセラーが感じ取り、補助することで、

その力・働きを育て、さまざまな症状や問題を克服していくという治療法ですね。

簡単に違いを説明すると‥

認知行動療法では「行動をこういう風に変えろ」と自分に命令し、心の動きをコントロールします。

「精神分析的精神療法(力動的心理療法)」では「今私は何をどう感じているのか」を深く深く追求して問題の原因を突き止め、解決しようとします。

認知行動療法が「今後の自分の心の動き」に焦点を当てているのに対し、

精神分析的精神療法(力動的心理療法)では「これまでの自分の心の動き」に焦点を当てます。

どちらがいいというものではありません。

患者によって、適当な治療法は違います。

私は大学病院で治療法を教えてもらい、先生の知り合いでその治療法に詳しい開業医の先生へ紹介状を書いてもらいました。

紹介状には、大学病院の先生の初見(私の病状、病状に関する見立てなど)が書かれています。

それを読むことで、スムーズに次の先生が診療できるんですね。

主治医を3回変えて、やっと私に合った先生に出会えた

大学病院の先生から紹介してもらい、精神分析的精神療法(力動的心理療法)を得意とする開業医の先生のもとを訪れました。

先生は、診察後にすぐ自分の治療方針をサラサラ話しはじめます。

医者
まず1日の生活スタイルを変えましょう。仕事をしていた時と同じ時間に起きて、寝る生活にします。日中はとにかく外に出てください。…

延々と続く、先生の持論に圧倒されてしまいました。

そして、その治療方針を聞きながら思ったんです。

なまけりー
この先生は、私自身を見てくれていない。自分の治療法を私に押し付けているだけだ。

大学病院で、精神科の医師に言われたんです。

大学病院の医者

精神病は、普通の病気とは違います。あなたに合った治療法を提案してくれる医師が、あなたにとっての名医です。

そういう先生でなければ、治療の意味はありません。遠慮なく、どんどん主治医は変えてください。

その言葉を信じて、自分の治療法を押しつけてくる先生は私に合わないと、自分で調べて他の病院へ。

そこでも同じように、「こうやって治療していくので!」と私の話を聞いてくれない先生だったので、更に転院。

徐々に病院探しも疲れてきたころ、やっと今の主治医に出会えました。

ただひたすらに私の話を聞いてくれ、

「どうしてそう思ったの?」「そうなんだね」「辛かったね、苦しかったね」

とまるで母親のようにやさしく聞いて接してくれました。

「勉強ができないあなたは愛さない」「うつ病なんかになって、恥ずかしい」

そうやって、私を突き放した両親を思い出し、涙があふれました。

私は、本当は両親にこう言われたかったんだ。

こうやって、誰かに受け止めてほしかったんだ。

やっと私の話を聞いてくれる医者に出会えた、やっと治療できる‥。

ほっとした瞬間でした。

6〜9ヶ月目、ベッド上から動けない寝たきり生活。週1のカウンセリングが徐々に苦痛になる

4〜5ヶ月目は定期的にカウンセリングへ通えていたんですが、6ヶ月目頃から徐々に外出するのがつらくなってきました。

当時の生活は、こんな感じ。

時間 行動内容 当時の気持ち
11:00 起床 よく眠れず、いつも起きるとだるかった。起きても、外を見るのがイヤでカーテンを開けることはほとんどなかった。
11:00~13:00 寝たきり パジャマのまま、ベッドの上で自分の暗い将来を思って泣いたりネットを見たりしていた
13:00~13:30 朝食・昼食 近所の安い弁当を購入して、食べた。おいしいとかまずいとかは、あんまり覚えてない。お腹いっぱいになれればよかった。
13:30~20:00 寝たきり 同上
20:00~20:30 夕食 同上
20:30~21:00 入浴 入浴するのは、主治医と会う日だけ。その他の日はほとんど入らなかった。体がだるかった。そんな自分がみじめだった。
21:00~ 就寝 布団には入るものの、眠れなかった。いつもAM3:00、5:00まで起きていることも多かった。

急に外出がつらくなった理由は、カウンセリングの頻度です。

4ヶ月目は2週間に1回でしたが、5ヶ月目は毎週カウンセリングに通っていました。

私は、幼少期から両親に

「やるべきことは、誰よりも早く終わらせなければならない」

「余った時間は別のことに取り組み、他の人より秀でた人間にならないといけない」

「やるからには必ず結果を出せ。他人よりもいい結果を出せ。」

と教えられてきました。

なので、毎回のカウンセリングのたびに、何か結果を出さないとと必死になってしまったんです。

無理やりに「私のうつ病の原因はこれだ」と決めつけて、

なまけりー
私は治療を頑張っています。誰よりも、必死で頑張っています!

と、先生にアピールしていました。

例えば、「生活サイクルを夜型から朝型に戻そうと頑張っています」「外出しました」とか。

先生からは、

主治医
どうして結果を出そうと焦っているの?心も体もゆっくり休ませてあげよう。時間はあるよ。

と諭されました。

当時の私は、焦って結果を求めてしまう自分が、両親の「教育」という名の呪いにかかっているとは知りませんでした。

「わからないよ!でもやらなきゃいけないと思ってしまう‥」

「結果を出さないと、自分はなまけているように思えてしまうんだもの‥」

とずっと苦しんでいました。

毎週毎週、先生に話を聞いてもらうのに、自分は何ひとつ進歩できていない‥

そう自虐的に感じるようになり、そして徐々に、自分は先生から評価されているように感じ始めたんです。

仕事中、上司に感じていた気持ちと同じでした。

先生の一挙一動に恐怖を感じるようになり、怖くて外出できなくなってしまったんです。

10〜13ヶ月目、カウンセリングへ行かず、趣味に没頭する

私の本業は、トラベルライターです。

旅行を題材にした文章を書いて、お金をもらって、生活しています。

その仕事をする、見つけるきっかけになったのは、この数ヶ月間のおかげ。

当時の生活サイクルは、こんな感じです。

時間 行動内容 当時の気持ち
11:00 起床 遅く起きる習慣がついてしまい、11:00前に起きるのが困難になっていた。

そのことへの罪悪感はずっとあったが、「今は旅行・陶芸などを一生懸命頑張っているから、いいんだ」とよく分からない理由で罪悪感を打ち消していた。

11:00~11:30 朝食・昼食 近所の安い弁当を購入して食べる。特に感想はない。何を食べても同じだから。
11:30~18:00 趣味 陶芸もしくは旅行
18:00~18:30 夕食 同上
18:30~20:00 趣味 陶芸もしくは旅行
20:00~20:30 入浴 シャワーで済ませることが多かったが、陶芸に行き始めたので入浴回数は増えた。3日に1回くらい。
20:30~25:00 趣味 旅行している時は、翌日の予定を立てていた。陶芸をしている時は、うつ病に関するブログや記事を読んで鬱々としていた。
25:00~ 就寝 なかなか寝付けず、ネットを見ていることが多かった。

寝たきりの生活が続くと、「何かやらないと周りに置いていかれる」という不安が急に襲ってくるようになりました。

そこで始めたのが、陶芸。

陶芸の教室に通い、一日中ろくろを回し続けました。先生も驚くほどのめり込み、2ヶ月ほどで随分コツを掴みました。

ある程度陶芸ができるようになると、「せっかく休みをもらっているんだから、旅をしないともったいない」と思うようになり、全国各地の窯巡りがてら日本一周することにしました。

旅の中でたくさんの現地の人と出会い、「会社を休んで旅行なんていいご身分だね」と嫌味を言われたり、運転手にすっとぼけられてタクシー代をぼったくられることもありましたが…

東京の自宅に戻ってきたときには、出発前の自分よりも何回りも大人になっている気がしました。

少し、対人ストレスの耐性がついたのかもしれません。

どれだけ待っても来ない電車、交通機関のない街、時間にルーズな現地の人々。

同じ日本に住んでいて、日本人なのに、まったく同じ人は1人もいないんだなあと痛感させられました。

自分を見直す時間として、旅はすばらしいチャンスです。

うつ病になる人々は、我慢しすぎます。

「自分さえ我慢すれば、周りの人間関係も仕事もうまくいく」

と、自分のストレスを押さえつけてしまうんです。

それゆえに、限界が来たときに爆発してしまう。

それを食い止めたいと思いました。

自分と同じように、うつ病で苦しむ人をもう見たくないと思ったんです。

それを伝えたくて、トラベルライターになることを決心しました。

旅で一旦、自分と向き合ってみないか?ちょっと一休みしてみないか?

うつ病を経験した私だからこそ、伝えられるメッセージがあると思ったんです。

14ヶ月目〜16ヶ月目、出会い系でワンナイトに没頭。自己承認欲求を性欲で満たそうとする

トラベルライターという天職を見つけたものの、そもそも私はなぜうつ病になったのか。

カウンセリングを重ねても、両親に自分が抑圧されていたということしか分からず困惑していました。

何が一体私にうつ病を引き起こしたのか。

それを悶々と考えるうちに、またも自分の存在意義に不安を覚えるようになりました。

陶芸中は、明日やる陶芸の技術のことで頭がいっぱい。旅行中は、明日どう行動するかで頭がいっぱいでした。

でも、その目標を達成したら、私は何をしたらいいんだろう。

何の目標もない、何も前進していない私には生きる意味はあるんだろうか。

なぜ自分は生きているのか?

誰かに私の存在を認めて欲しくて、私は出会い系サイトに走りました。

数通のメールのやり取りだけで、その日のうちに見知らぬ男性とセックスしたり、全く知らない男性の車でドライブしたり。

自分の肉体を求めてもらうことで、自己承認欲求を満たしていました。

当時の生活はこんな感じ。ひどいものです。

時間 行動内容 当時の気持ち
11:00 起床
11:00~11:30 朝食・昼食 出会い系サイトで知り合った人とランチすることが多かった。人と話すことで、自分がまだ社会の一員なんだ、と思い込ませようとしていた。
11:30~17:00 出会い系サイト確認 出会い系サイトを確認し、晩御飯を食べられる人を探す
17:00~23:00 夕食 出会い系サイトで会った人と晩御飯
23:00~ ワンナイト・就寝 出会い系サイトで会った人と晩御飯、その後ホテルへ。という流れがほとんどだった。当時は、ほぼ毎晩違う男性と寝ていた。肉体を求められることでしか、自分の価値が見いだせなかった。そこにしか自分の価値はないように思えていた。

おかげで「水商売のバイトやってた?」と言われるくらい性技はうまくなりました。

でも、ずっと心は空っぽでした。

なぜ私はこんなにいつも憂鬱なんだろう。人を信じられないんだろう。どうしてうつ病になってしまったんだろう。

17〜20ヶ月目、カウンセリングを再開。うつ病の原因が家族だと判明する

この頃の私は病状がひどく、肉体関係でしか他人とのコミュニケーションができなくなっていました。

いわゆる、セックス依存症ですね。

ふと寝る前にぼーっと自分を客観視して、死にたくなることが増えました。

今のままだと、私は本当に死ぬかもしれない。

そう思って、カウンセリングを再開しました。

当時のスケジュールはこんな感じ。

時間 行動内容 当時の気持ち
11:00 起床
11:00~11:30 朝食・昼食 近所の安い弁当屋で済ますことが多かった。味は覚えていない。
11:30~14:00 カウンセリング 移動時間が一番苦痛だった。先生の反応に一喜一憂することはなくなった。
14:00~18:00 ぼーっとする 放心したようになっていることが多かった。たいてい、これまでの自分を責めることが多かった。急に泣き出すことはよくあった。
18:00~19:00 夕食 同上
19:00~20:30 風呂 カウンセリングに頻繁に行くようになったので、入浴の機会は増えた。前よりも自発的に入浴することが多かった。ぼーっとお風呂に入っているので、2時間、3時間経っていることがよくあった。
20:30~24:00 ぼーっとする 同上
24:00:00 就寝 布団には入るが、眠れなかった。この時期も、AM3:00や5:00に眠りにつくことが多かった。

先生と根気強く、私の過去を振り返りました。

思うがままに話していいよ、と言われたので、思いつくがままに全て話しました。

私より成績優秀な弟は、両親から溺愛され、何事も優遇されていたこと。弟だけは何をしても両親から叱られなかったこと。

テストの成績が悪いと、食事さえろくに食べられなかったこと。

夏休みなど長期休みは、学校の宿題とは別に両親から出される課題があったこと。

毎日いくつものコンクールの作文や絵を書かされて、親は私を他人を見下すための道具にしているんだと感じたこと。

話しているうちに、ボロボロと涙が溢れてきました。

私は、両親にテストの成績なんかで愛の優劣をつけてほしくなかった。

私は絵が好きだったのに、そんなものは出世の役に立たないと否定してほしくなかった。

ただただ、あなたはあなたのままで愛していると言って欲しかった。

「辛かったね。」

たったそれだけの主治医からの言葉に、何分間も言葉が出ませんでした。

そうだったんだ。

私は、両親の「勉強しなければ愛さない」という教育虐待に怯えてきたんだ。

だから、他人よりも優れていなければならない、早く目標を達成しなければならない、仕事しか私の存在意義はないと必死になってきた。

でも、それを頑張っても、誰も愛を与えてくれない。

辛いことばかりが溜まっていって、だから、私はうつ病になったんだ。

やっと、うつ病の原因が分かったんです。

目の前に立ち込めていた雲が、一気に晴れた気がしました。

21〜22ヶ月目、実家に戻る。両親にうつ病の原因を打ち明けるが、和解できず

うつ病の原因が分かってしばらく経ってから、主治医に相談して、両親にうつ病の原因は両親だと告げることにしました。

詳細は

「摂食障害を親に告白しました | 教育虐待の末路」

に書いているんですが、結論だけを言います。

両親は、理解しようとしてくれませんでした。

特に父は、

「お前の責任を俺に押し付けるのか」

「お前、いい大人だろ。いい加減にしろ」

「こんな娘に育てた覚えはない」

と逆上したんです。

その時、思いました。

家族って、ただ血が繋がっているだけの他人なんだ。

私は、両親から「勉強」という条件のない愛が欲しかった。

でも、もらえなかったし、説明しても理解してもらえなかった。

ここから、両親とは疎遠になっていったように思います。

一生この人たちとは分かち合えないだろうなと。

この頃から、エリログを始めるようになりました。

うつ病の情報発信をしよう。

私はうつ病の原因がわかったけれど、まだ苦しんでいる人もいる。

その人たちのためになる情報を発信しよう。

そう決意して、記事を書くようになりました。その思いは、今も変わりません。

23ヶ月目〜24ヶ月目、休職期間の終了を人事に宣告される。退職準備をする

23ヶ月目になると、人事からいよいよ休職期間の終了を知らされました。

24ヶ月目以降は無給での休職になるということで、

トラベルライターになると決意していた私は思い切って退職することにしたんです。

あれこれ書類を提出して、会社に行くのは怖かったので総務に荷物一式を送ってもらい‥

あっさりと私の会社員生活は幕を閉じました。

2年間の休職で思うのは、「うつ病の症状は、ジェットコースターみたいなもの」

2年間の休職を経て思ったのは、

「うつ病の症状は、ジェットコースターに似ている」

ということ。

私の場合、まだ本当にうつ病を完治できていません。

正直、この人生が終わるまでにうつ病を完治できるかわかりません。

無理かもしれないと思っています。

でも、うつ病の原因はわかりました。

だから、後はどうやって克服していくかです。

今後も主治医の力を借りながら、少しずつ、抑うつ状態がぶり返すことのないように努めていきたいと思っています。

「休職中、きっと皆がんばっているんだ‥置いていかれる‥」と不安にならないで。自分を追い詰めないで

休職中は周りのことが分からないからこそ、不安になります。

「きっと皆、治療とか転職とか頑張っているんだ」

「私も何かやらなきゃ、置いて行かれちゃう」

と、辛い・苦しいと思いながら自分に鞭打って頑張ろうとするでしょう。

でも、少し休みましょう。休んだら置いていかれる!と不安にならないで。

まず、深呼吸して、自分を見つめて。周りなんてどうだっていいんです。

これは、あなたの人生です。あなた以外の誰かのことなんて、どうでもいい。

あなたは頑張り屋さんだから、どうしても誰よりも前に進もうとしすぎたり、何でもまじめにやりきろうとてしまいます。

でも、気を抜いていいんです。

何も考えないで、休みなさいと神様があなたに休息をくれたんです。

うつ病は、苦しいです。

でも、あなたは1人じゃありません。私も、私以外にもたくさんの闘病中の患者がいます。

どうか、悲観しないで。

寂しい、孤独だと思ったら、私に連絡してください。

エリログのお問い合わせフォームは、24時間いつでもオープンです。

あなたの力になりたい。

この記事が、私の体験談が、少しでもあなたの支えになれたら嬉しいです。